信仰―法話コーナー


法話

閉塞感【2018年8月の法話】

「私のさとったこの真理は深遠で、見がたく、難解であり、しずまり、絶妙であり、思考の域を超え、微妙であり、賢者のみよく知るところである。ところがこの世の人々は執著のこだわりを楽しみ、執著のこだわりに耽り、執著のこだわりを嬉しがっている。……だからわたくしが理法(教え)を説いたとしても、もしも他の人々がわたくしのいうことを理解してくれなければ、私には疲労が残るだけだ。わたくしには憂慮があるだけだ」と。(パーリ律蔵、マハーヴァッガ、I.5、中村元訳)

さとりを開いた仏が説法をためらうというのは意外ですが、お釈迦さまの心にあったのは、自己の内に起こったきわめて特殊で微妙な体験を、言葉という誤解を生みやすい不完全な手だてによって他人に正確に伝えることへの不安であり、あるいは、たとえ言葉をもって正確に伝えられたとしても感覚的な快楽の対象に夢中になっているばかりの世の人々にさとりの意味が果たして理解されるだろうかという疑念であったのでしょう。沈黙へ誘惑がお釈迦さまの心に起こったとき、梵天(ぼんてん)がお釈迦さまに法を説くように三度にわたって願い求めたといいます。この懇請によってお釈迦さまは世の人々のために法を説くことを決意されたといいます。これ以降、八十才で生涯を閉じられるまでの四十五年間約二千キロ、お釈迦さまは人々に法を説き伝え歩き続けることになります。

七月六日、オウム真理教の教祖をはじめ、オウム死刑囚七人の死刑が執行された。今から二十三年前、首都・東京を、世界で初めて化学兵器による無差別テロが襲い、未曽有の大惨事となった『地下鉄サリン事件』。ある一人の男の証言をきっかけに、オウムにまつわる数々の事件が解決へ大きく進んでいくことになる。

その証言をしたのは、地下鉄サリン実行犯の林郁夫受刑者。捜査に携わった稲冨氏は「林がサリンを撒いたことを自供した後で、『なぜそういうことが起きるんだろう』ということで聞いたときに、彼が言った第一声は『閉塞感』という言葉だったそうです。

最近「閉塞感」という言葉がよく聞かれる。「閉塞感」とは、“自らを取り巻く状況を何とか打開しようと試みるものの、その状況を打開できずもがき苦しんでいる状態、先行きの見えない状態”と定義できる。閉塞感は心身を消耗し反応性うつ病の一種ともいえる「燃え尽き症候群」を誘発するといわれています。そんな心のセルフケアにお勧めなのは「歩く」こと。研究者の一人は「自分が気持ちよい、と思える程度でいい」と言っている。ようは散歩でいいのだ。初夏の日差しを浴びてゆっくり足を進めるうちに、いつの間にか「閉塞感」が解けていく。さらに「歩く」ことが脳の活性化にも良いことが近年の研究によって明らかにされている。

「他者に頼らず、自己を拠りどころとし、法を拠りどころとして生きなさい」

お釈迦さまも人々に法を説き歩き続けたように、我々も依存せず、自分自身の足でしっかりと大地を踏みしめ人生を歩く。

「歩」という文字が足の動きを表す足あとの形を前後に連ねて書いて、前に「あるく」、前に「ゆく」という意味であるようにまずは一歩歩むことが人生好転になることでしょう。

合掌

(酒井太観)

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