信仰―法話コーナー

法話

無財の七施【2018年7月の法話】

早や一年の半分が過ぎ、季節も夏へと移り変わり行く頃となりました。今年は例年に比べ梅雨入りが早かったこともあり、明けるのも早くなることと思われます。じめじめとした梅雨に早く明けて欲しいと願う一方、梅雨が過ぎると暑い夏がやってくることもありなんとも悩ましい時期です。

この七月。“七”という数字がつく月ですが、我々が過ごしている中でたくさんの“七”にまつわるものがあります。仏教でいうと七福神や四十九日までの各七日、七施、七難など、またお釈迦様がお生まれになって“七歩”歩いて「天上天下唯我独尊」とおっしゃられたことも有名です。一週間も七日、虹、七草、また“ラッキーセブン”なんてことも言うこともあり、西洋東洋、宗教問わず“七”の数字はよく目にするのではないかと思います。

さて、そんな身近に様々なものがある“七”ですが、仏教においては、「無財の七施」という言葉があります。これは六波羅蜜の中に入っていますように布施を施すことも大切な修行の一つとしております。「布」は分け隔て無く、あまねく、「施」は文字通り施すという意です。万人に等しく、施しをする人はもとより、受ける人の心も清く、布施の内容も清らかである事が大切であると説かれています。単に「布施」と申しましても財施、法施、無畏施の三種類あります。財施は金銭や衣服食料などの財を施すこと、法施は仏の教えを説くこと、無畏施とは恐怖や不安、脅えと云ったものを取り除いて安心させることをいいます。しかし、これら三種の布施は金銭といった財が必要、仏の教えを知らねばならない、などの事があります。「雑宝蔵経」というお経の中でお釈尊は「七種施あり。財物を損せずして大果報を得ん。眼(げん)施(せ)、和(わ)願(がん)悦(えつ)色(じき)施(せ)、言(ごん)辞(じ)施(せ)、身(しん)施(せ)、心(しん)施(せ)、床(しょう)座(ざ)施(せ)、房(ぼう)舎(じゃ)施(せ)」と、つまり財力や智慧が無くとも七施として、七つの施しが出来ると説いておられます。一、眼施(好ましい、慈しみの眼差しで接する)二、和願施(和やかに、穏やかな顔つきをもって接する)三、言辞施(粗暴でない柔らかい言葉使いをすること)四、身施(自分の体で奉仕、模範的な行動を身をもって実践する)五、心施(他者の為に心を配り、喜怒哀楽を共に感じること)六、床座施(席、地位を譲ること)七、房舎施(雨や風を凌ぐ場所、宿や休息の場を提供すること)が無財の七施です。財や地位が無くとも、何の持ち合わせが無くとも、どこでも誰にでも対してできる簡単な事です。

布施は持たざる者に対して“めぐむ”ことであると思っている方がいらっしゃるとおもいます。「めぐんでやった」、「してやった」と思う気持ちを心のどこかで思う方もいるかもしれません。これではせっかくの布施の行も施しとはならなくなってしまいます。日々過ごしていく中で「布施」と思わず相手に、だれかに「よろこんでもらうこと」と思い、一日に一つでもひと月に一つでも行って頂ければと思います。

合掌

(江本康亮)

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